メディアが取り上げる『推し活』について思うこと

少し前、SNSを眺めていたら「のめり込むような推しが作れない…」という嘆きをみかけた。

去年あたりから、推し活がメディアでももてはやされていて、シニアでも推し活を楽しむ人が増えて年齢関係なく、健康にも良い。
…みたいなニュースや記事を見かけることもある。

そのせいなのかな。
冒頭のSNSで見かけた投稿は、そういったわかりやすくのめり込むような推し活ができない自分、という嘆きなんだと思う。

ただ、仕事柄、推し活する女子を(リアル、ネット上拘らず)ものすごく見ているわたしからすると、そこそんなに嘆くことでもないよって思う。

今言われている推し活って、1人の俳優なり、アーティストなりに、のめり込むのが「推し」活って定義されやすい傾向があるけれど(傍からみてわかりやすい)個人的には違うと思っていて。

好きな俳優、アーティスト、作家。
あるいは映画作品やアニメ、漫画、小説なんかの作品単位でもいい。
もっと言ったら、愛すべき一緒に暮らすペット、でもいい。

「好きだから応援する」
「その存在が心の安寧をもたらしてくれるから応援する」

が、推し活のベースというか基本。

いわゆる二次創作だって、推し活の一環。表現の違い。
嫌いな作品やキャラクターの二次創作なんて、やらない。

…と、学生自体、二次創作の同人界隈にいたわたしなんかは思ってしまう。

この基本を考えたら、1人沼らなくてもいいし、のめりこまなくてもいいし、ゆるく広くでもいい。

もちろん「いいよね!」って言い合える相手がいて、一緒に推し活してくれる人がいたらさらに楽しいけれど。
基本、推しという存在はわたしたちの心の栄養だと思うから、推したいように推せばいいし、そこに「こうしないと推し活じゃない」というのはない。

ないんだけど、メディアとかが取り上げるとなんかこう…推し活とはこういうこと、って定義されちゃう。
そしてそれを見るから、「のめり込むような推しが作れない…」ってなるんじゃないのか、と。

お茶の間ファンの推し活だっていい。本来は。
仕事柄、メディアに出る側の人たちと関わっていると思うのは、全く知られないよりもお茶の間レベルでも顔と名前が一致してて「結構好きなんだよね」って言われるのってありがたいこと。

それが下地としてあってはじめて、何かの拍子でしっかり作品を見てもらったり聴き込んでもらったり、コンサートや個展なんかの実際の会場に足を運んでもらえる可能性が広がる。

だから、宣伝活動としてさまざまなメディア媒体に出る。
ブロガーやインフルエンサー、何かしら表現活動をしている人がSNSをたくさん発信するのも同じ。
(わたしは講座開催という活動をしてるにもかかわらず、SNSでの発信が少ない…よろしくないパターン…)

反対に、沼にハマるほどの情熱で妄信的になって暴走したら、それはもう(「傍から」みたら)推し活でもなんでもなくてただの迷惑行為だし、迷惑集団でしかなくて。

しかも、盲信的になった自分の周囲だけじゃなくて「推し」てる相手にとっても迷惑になる。

なんなら、清く正しく応援してる人たちも全部ひっくるめて「あのアーティストのファンは、界隈は、治安が悪い」と判断される。

治安が悪い、にはいろんなパターンがあると思ってて、時々ニュースになるストーカーだったり、高額転売だったりの犯罪も、遡ると最初は熱心な推し活ファンだったりする。

推し活って言う人たちは熱狂的な人が多いし、取り上げるメディアや特集もそういう見せ方するけど、本来はそうじゃない。

というか、そんな定義に縛られずに、その人その人のできる範囲で楽しく応援するのが『推し活』のあるべき姿。

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